前回にご紹介させていただいた『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)。プロ中のプロ料理人の書かれた本だけに勉強になる部分が多いです。熊澤はキッチンスペシャリストでもあるので、この本を読んでみて、その内容をどうやってキッチンの設計に落とし込むかも考えてみたいところ。本の内容を受けてのものなので、一般的な設計論とはアプローチが違ってきますが、視点を変えてみるという意味も込めて、かつ、備忘録もかねてまとめておきたいと思います。
家庭料理は、作る人と食べる人とがお互いを思いやる真心から生みだされるものであり、それ故に食育という役割も担うもの。
しかし、私にもしんからうまいと思って食うものがある。家庭のお総菜だ。これは、前にもいったように、料理ではないのだ。それがいい過ぎなら、専門家のつくる料理とは、全然別物なのだ。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
それに、何といっても、家で食べるものには真心がこもっている。しんから、うまいと思うのは、その真心のせいなのだ。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
ものを食うのは、せんじつめてゆくと、口や舌ではなく、魂が食うのだ。口や舌はごまかせても、魂はごまかせない。真心のこもった食べものは、だから何ともいえぬ味がある。料理屋などにいっても、それはすぐわかる。真心のこもった料理と、いい加減な気持ちでつくった料理は、味よりも、何よりも、その違いがカンに響いてくるのである。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
ここがすべての原点、原理原則。ここか欠けてしまっては、どんなに高級なシステムキッチンでも、世界で一点物のオーダーメイドキッチンであっても、無用の長物になり果てます。どうしてもキッチンについて考えていると、プロ・アマ問わず、設計論や製品選択が先行しがち。ちょっとそのあたりは脇に置いて、話を進めてみたいと思います。
料理を食べる人の方も、つくった人のことを思いやらねばならない。家庭のたべものについては、とりわけこのことが大切である。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
レストランやうまいもの屋で食事をする機会の多い主人や、よくお招ばれにゆく青少年達がうちのおかずはまずいという不平を洩らすことがありがちである。それでは、主婦がかわいそうだ。高い金を払って食べる料理店の料理、費用かまわずにぜいをつくした招待宴の料理、それと一定の予算にしばられている家庭の料理とは、第一材料が違うのである。主婦は、それを真心とせいいっぱいの技術でおぎなおうと苦心しているのである。そこを察してやらなければならない。特に、子供達の家庭教育の一環として、こういう思いやりを持つように仕向けることは、将来人を統御するような人物に育てるために役立つと思う。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
巷にはたくさんのキッチン本があります。ノウハウもたくさんあります。でも食べる側の姿勢まで突っ込んだものは、なかなか存在しません。最後の一文は食育の話。このくらいの時代から、秋山氏は食育の大切さに目を向けられていたことになります。それだけ大切な場ですから、例えば住宅の設計の場にあって、その比重が高くなるのも頷けるというものです。
キッチンの設計では調理そのものより、前後の所作に注目を。
- 包丁、まな板、鍋、材料は、どこから取り出して、どこで洗い、どこへしまうのか?
- それらを、常に清潔に保てるか?
料理の真髄を話してくれという人がよくある。そんなに、一口に話せるような真髄があったら堪らない。だが、私はこう思う。庖丁をよくとぎ、俎板の上をいつも清潔にし、鍋の洗い方に気をつけ、材料の吟味を十分にする ― そういった細かいところを、しっかりやることだ。平凡なことである。真髄というものは、平凡なところになる。なんでもない、小さいところにある。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
秋山氏は作業そのものより、前後の所作に注目してます。用意と片付けの部分です。このあたりがきちんと計画されているキッチンだと、細かい作業を支えてくれるだけでなく、料理のしやすいキッチンだと言えそうです。細かいところをしっかりやる、中途半端な気持ちではそこまでできないけれど、しっかりやろうという真心に料理の真髄がある、とも同時に読めます。言い換えると以下のようになるでしょうか。
道具や設備より、調理の基本技術の方が大切。
- 料理の基本技術をしっかり覚えることが大前提。
- 基本技術があれば、そもそも論として、多くの器具や設備は必要なくなる。
まず第一に御飯を上手に炊くこと、第二にお汁を上手に作ること、第三にものを上手に煮ること、第四に上手に焼くこと、第五に揚げること、そのほかに炒めること、蒸すこともあるが、そのような「料理の基本技術」をしっかり覚えればいいのである。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
同じ焼くにしても、揚げるにしても、材料によって違いがあるのだが、小魚を焼く場合はこう、切身を焼く場合はこう、厚い肉を揚げるときにはどんな火加減で、牛蒡や人参を揚げるときはどんな心得で―といった具合に、或る程度合理的に分類できる、それを身につけてしまうことだ。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
そうすると、あとはその人の器量によって、活用は自由自在、応用は千変万化である。たとえば、おいしいダシの引き方を覚えれば、味噌汁もうまいし、茶碗蒸しもうまくなる。お雑煮をつくっても、おじやを炊いても、おいしいものができる。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
家庭のお惣菜というものは、簡単にできて、経済的で、おいしく食べられて、それに栄養のことを考えればいいのであって、何だ彼だと凝るのは馬鹿らしいことだ。金と暇があり余っている人ならそれもよかろうが、これからの世の中は、なかなかそんなものではない。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
書かれた時代背景もあると思いますが、調理器具や設備そのものについて触れられる部分は少ないです。食材によって調理器具や設備を変えるのではなく、火加減や心得の方が大事だと。道具や設備は、最初は色々なものを買いそろえてしまいますが(パスタ鍋とか)、実際には徐々に使わなくなり、次第に使うものが固まってきます。調理器具はどんどん兼用されていき、調理の腕が上がれば上がるほど、数が必要なくなります。数が減ることで収納量というよりは、取り出しやすさや片付けやすさが重視されることに。逆を言えば、どれだけ素晴らしい器具や設備でも、それを活かす腕前がないのであれば無駄になるし、そもそも、それを活かせる腕前があるなら、そこまで御大層な器具も設備もいらないという、逆説的な話です。
作業台やダイニングテーブルは大きく、食器類の収納は確保。
西洋料理は、食器が単純で、チャンと決まっているからいいが、日本料理は種類も意匠も千差万別だ。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
日本料理は、一つなり二つなりの膳の上に、或いはちゃぶ台の上に、全部の器物が一時に並べられる。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
作るときは器具類を使いまわすでOKでも、食べてもらう時にはちょっとでも気を使って、おいしく食べてほしいと”思いやる”と、盛り付けに気が向いて、そこで器の出番となります。その料理にあわせたり、季節にあわせてみたりと。秋山氏も、日本人の使う器の種類の多さ、一度に全部を並べる配膳にもふれていました。そのため、食器類はちゃんと収納したい収納量を確保する必要があります。また、料理を広げるダイニングテーブルの大きさも重要です。ただ、食器に関しては、そもそも器具類に比べれば大きくないですし、商売をしようと思わなければ収納量的には難しくない話と思います。しかし、前段までの話の通り、食器の取り出しやしまいやすさには気を配る必要があり、そこに設計力が必要となります。設計事務所として住宅などを設計するときの腕の見せ所に。
キッチンとの関わりは一生涯、大切なのは清潔さ。
- キッチンとは一生涯のおつきあい。
- 一番のポイントである清潔さを考えるうえで、どうやってごみ処理するかが大切。
料理の腕や工夫、これは一生のことで、まだまだこれからだ。
『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)
キッチンとは一生涯のおつきあいですし、そもそも衣食住はどれもそうですね。独立後、既存住宅状況調査技術者として、耐震診断や耐震補強設計として、リフォームやリノベーション(リノベ)として、既存のお宅へ伺う機会も多くなり、気が付いたことがあります。キッチン改修の検討は必ず出る話なのですが、実際その時期になってもなかなかお金を出せるものではない、ということです。それと、改修によって改善したい点は、突き詰めると清潔さが一番に来るということです。お金の話は当然で分かりやすいですが、清潔さの方はちょっと意外でもありました。
一番には収納量が来そうな気もするのですが、すでに改修時期を迎えるほど調理の経験を積んだお施主さんは、食器、調理器具や設備については断捨離を進めていて、ものを減らしておいででした。新しいキッチンには収納ではなく、掃除のしやすさなど清潔さを求めていることがほとんどです。システムキッチンは改修の現場でも人気ですが、収納量ではなく、清潔さを保ちやすいことが一番の理由です。特にオーダーキッチンの時にはこの点を忘れずに設計に盛り込んでおきたいところです。ただ、システムキッチンも万能ではなく、システムキッチン検討時にはごみ問題に頭を悩ますことが多い印象です。どこにゴミ箱を持ってくるのか?そのごみ箱はそもそも使いやすいのか?などですが、この点に関しては、オーダーキッチンの方が得意です。
ざっと書き出してみると、こんな感じでした。