しつらえ『味-天皇の料理番が語る昭和』

コロナ対応での自粛などあって少し時間が取れた時に、前から読んでみたいと思っていた本を何冊か読むことができました。その中で印象に残った本について。まずは『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)。大切にしたいところは、どんな業種であれ、いつの時代であれ、同じものです。

料理にも、重点が一つあって、それが光っていなければならない。その他のものは、それ自身としてはもちろん立派なものでなくてはならないが、重点になる料理の光を消すようなギラツキがあってはいけない。そうして、コース全体が渾然とした調和を保ってこそ、最上の料理といえる。

『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)

人の数だけ大切にしたいものがあって、建築であればその建築ごとに大切にしたい点、重点があるはずです。人が住む住宅であっても、その住宅ごとに大切にしたいことがきっとあります。それを探し出して、設計に落とし込むのが建築家として、設計者としての仕事だと思っています。その家族のもつ個性、その建物がもつ個性、その土地がもつ個性を具体的な形にすることとも言い換えられると思います。

実際に住宅の新築なりリノベーション(リノベ)なりリフォームなり、計画が持ち上がって動き始めると、事細かに要望が持ち上がる人もいれば、あまりにも漠然としていて掴みどころがない抽象的な状態におかれる人と、様々と思います。それらを整理、抽出、顕在化させる役割を設計者が担います。水先案内人のようなものでしょうか。2軒も3軒も建てられませんし、コストや計画地など諸条件の制限もあります。そんな中での取捨選択を経て、ひとつの形ができあがります。それは諸条件の差ではなく、個性の差から生まれた形です。 別な言い方をすれば、きちんと優先順位のついたプライオリティの利いた計画です。一本、筋の通った、信念を持った、思いのこもった計画であって、それが光らないはずがありません。

そういったわけで、頭に浮かんでくる献立を、思い切って片っ端から落としてしまう。ところが、その中に、どうしても落としきれないものが残ってくる。十ぺん考えても、二十ぺん考えても、その献立が頭の中に坐っている。それがホンモノである。こうして煮つめて煮つめて、最後に一つの献立を決定したのであった。

『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)

しかし、その中に、いうにいわれぬ、教えるにも教えられぬ、玄妙な境地があって、修業というのは、つまり、その境地を探り出し、身につけることにほかならない。ここいらが、素人の勉強と、玄人の修業との違いである。料理学校や、料理書では、どうにもならないところである。

『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)

料理というものは、機械・器具を作るように、寸法を計って、切って、くっつけるといったものではない。― その材料の個性によって、火加減も、調味料の加減も違ってくる。

『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)

ガイドや水先案内人の役割を演じる建築家の取捨選択とは、まさにプロフェッショナルな領域にあって、この部分が個性を生みだす一番の要因です。単なる諸条件の整理だけで終わらせない提案の生まれる苗床です。

いったいに、仕事を向上させたいという熱意より、その仕事で収入を得るという意識の方が遥かに強いから、どうしても、腕そのものはお留守にならざるを得ない。

『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)

しかし、―この、しかしを私は声を大にしていいたいのだが―自分の仕事に対する真剣さということ、こればっかりはどんな世の中になっても、変わりなく大切なことで、それがまた食ってゆくのにもぜひ必要なことだと思うのだが、その点、いまの若い人達の考えが不思議でならなくなる時がある。

『味-天皇の料理番が語る昭和』秋山徳蔵(中公文庫)

設計事務所とは、住宅メーカーや工務店などと違い、第三者的な立場で、設計専業で生きています。自身の能力の研磨には余念がありません。

世間では設計料無料であるとか格安であるとか色々という会社はあります。そんな会社であっても社内か外注かの違いで、誰かが打ち合わせの内容を形にしているし、図面を引いているし、申請をしています。つまり、自分たちの仕事はとてもお金を取れる質の仕事ではないと打ち明けているも同然なわけです。最近ではこのような批判をかわすために、見積書に設計料を計上するところも増えてきていますが、中身は同じです。

ありきたりではない、ちょっと光る重点を持った設計を実現されたい方は、その家族のためのしつらえを実現する設計事務所を、ぜひご用命ください。